続きましては、延平郡王祠(イェンピンジュンワンツィー)を見学です。
延平郡王祠は、日本ともつながりが深く、オランダを駆逐した人物として
有名な鄭成功が祀られています。 |
赤い提灯が吊されていました。 |
前無古人と額に書かれています。 |
祠の本堂です。 |
入口を内側から撮影 |
祠内に多く見られる清朝時代の楹聯(柱に掲げる對になった額)
歴史的価値が高いそうです。 |
祠は、とても色鮮やかでした。すごい色使いですよね。派手というか!! |
振興中華・・と書かれています。 |
とにかく色鮮やか。 |
入って左。化及南○・・難しい漢字 |
入って右。義沛蒼溟・・だと思います。 |
祠内は、改修されていて、鄭成功の像には、
ビニールが被せられていたのですが、
自分たちが見学に入ってきたら、作業をしていた方がビニールの覆いを
めくってくれました。
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改修をしている最中の様です |
ビニールを被っている。鄭成功像 |
周りには、いろいろな展示物 |
何か?解説が書かれています。 |
周りの廊下の中には、いろいろと展示がされています。
歴史なども書かれているようですね。
解説が書かれていましたので紹介します。
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鉄砧剣井
言い伝えによると、鄭成功は1662年(明永暦16年)、軍を率いて北伐に向かうとき、 鉄砧山(現在の台中県大甲鎮)に本営を置いた。
ところが当時の原住民に取り囲まれ、水源を絶たれてしまった。そこで、天に向かって祈り、剣を抜いて地面に刺すと、泉が湧き出てきたという。
清光緒年間、地元の人々がこの出来事を記念して、井戸のそばに碑を建て、その井戸を「国姓井」と名付けた。
1953年、国民党の元老、干右任が筆を執った「剣井」の二字が彫られると、「剣井」の名で知られるようになった。
台北剣潭
300年ほど前、 鄭成功が兵を率いて北上したとき、連日にわたり、原住民たちに取り囲まれていた。
偶然、深い淵のところを通ったとき、不利な戦況に慷慨し、怒りの余り、宝剣を淵に投げ入れた。
すると、突然、沼の水が沸き上がり、7日目の夜になってやっと収まったという。そこで、「剣潭」という名が付いた。 |
これは、エライ人の写真?女性ですが? |
こちらに行ってみましょう。 |
昔の井戸ですね。 |
祠の右手の出口から |
昔の写真が写真で撮りました。 |
たくさん、祀られているのですね。 |
これは何?龍の彫り物がしてあります。 |
これは、守り神ですかね?? |
鄭成功かな?? |
分かりますか?河の中に龍がいます。 |
これは、灯籠の様な記念碑かな? |
明延平郡王祠。新しい門ですね。
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